いま、ここ にいるこの子のちょっとした心の動きをかんじる大人
おはようございます🤗
どんな週末をお過ごしですか?
年度末、落ち着かない心持ちの先生もおられるかもしれないですね。
いま倉橋惣三の著作をパラパラとめくっていました。
倉橋の著作の中には現代の幼児教育の中に生きる言葉が積もっています。
もう宝の山ですよね。
有名な『育ての心』の中にあるこんな一節に目が止まりました。
子どもの心もちは、極めてかすかに、極めて短い。
濃い心もち、久しい心もちは、誰でも見落とさない。
かすかにして短き心もちを見落とさない人だけが、
子どもと倶にいる人である。
と書いているのを見つけました。
「濃い心もち」って何でしょう?
めっちゃ泣いているとか、ものすごく嬉しそうとか
そういう心もちですかね。
では、「かすかな心もち」とか、「短い心もち」とは?
これ綺麗 とか
何これ?
あっ👧
という心もちでしょうか?
こういうのを見逃さずに捉えて、
密やかに感じながら、そっと隣にいることができる大人であれと
倉橋は言っています。
エピソード記述という手法がすっかり定着していますが、
エピソード記述だと多くの場合は「濃い心もち」を描くことになる。
それはそれで大切なことなのだけれど、
「何か面白いこと?逸話的なものがないかな?」
という視点を大人たちが持ってしまうことになる。
そうじゃなくて、
いま、ここ にいるこの子が感じていることは何?
いま、ここ にいるこの子の(心の)動きは何?
ということを大切にしたいですよね。
そのための記録のあり方、語り合いのあり方を
考えなくてはいけないな
と思ったのでした。