子どもたちの姿から育ちの流れを想像する

 

 

(1)はじめに

 

幼児教育・保育の現場で先生方が子どもたちに向けている目線.

そこで気になることがある.

それは「◯歳なので,・・・はまだ早い」というもの.

もちろん逆の「◯歳なので,〜くらいはできていないといけない」というのもある.

 

これは子どもたちの育ちを阻害する要因になりかねないと私は懸念している.

ここでは,その理由とそうしないことによる意味を考えてみたい.

 

(2)育ちとまわり

 

発達というのは年齢で決まるものではない.

例えば,かつてはハイハイをする時期が長くあって,

その後に時間が経つと,今度は立ち上がるようになるという流れがあった.

しかし,最近はハイハイの時間が短いという考え方がある.

 

これは西洋型のイスと机の生活が当たり前になり,

赤ちゃんのすぐ近くに垂直面があることが関連していると考えられる.

赤ちゃんの移動を研究した西尾ら(2018)の研究では,

歩き出しの周りに何があるかによって「歩行開始システム」の構築の仕方は

違うという.ということは,家具の種類が30年前とでは違うわけだから,

ハイハイが消失してもおかしくないのではないか.

 

ちなみに,私が育った家では私が過ごした部屋はタンスしかなく,

畳敷の6畳間だったと記憶している.赤ちゃんがその中で移動をするには

ハイハイしか方法がない.そして,その先にあるタンスを支えにして,

次第に立位を獲得することになるだろう.

 

こういうことがあるので,何ができるか?できないか?(しないか)は

年齢だけでなく,周辺環境などにも影響を受けるものである.

 

先生たちはテキストなどに書いてあることやご自身の経験から,

◯歳くらいは大体このくらいというイメージを持っているのはよくわかる.

だが,それが絶対ではないというイメージも同時に持ち合わせてもらいたい.

 

本当はできるのに,

大人ができないと考えていることによって子どもがチャレンジをしなかったり,

大人に制止されてしまうこともあるだろう.

大人によって機会を奪われたら,できるものもできなくなるのだ.

 

(3)流れとして捉える

 

子どもたちの発達を見るときに,どんな順序で発達が起こったのか?

次に何が起こるだろう?という,いわば「流れ」という

視点で捉えたら何が見えてくるだろうか?

 

この秋に,ある園で(5歳児による)大規模な土木作業が行われた.

最初は築山から水を流して遊んでいただけだったが,

そこに流れが生まれ,水たまりができた.

そこから,園児たちは溝を整備して堰堤を作り,ダムを作り,

さらにそこから川を作り,2ヶ月以上の時間をかけて,壮大な

河川系を作り上げた.

 

こういう中で,例えばスコップの使い方などを習得するかもしれないし,

その後には別の器具を使えるようにしたいかもしれない.

そう考えて,先生は本物の(鉄製の)スコップをこそっと用意した.

 

協力体制を築くために,話し合いの方法を習得していくかもしれない.

日頃の保育から,それまで以上に話し合う時間を大事にしたり,

給食準備の際に,園児たちだけで順番を決めながら準備をしたりもした.

 

そんな風に,遊びの中でこれから進むであろう方向性を想定して,

日常の保育のあり方を工夫していた.

 

決まった遊びの進み方があるわけではない.遊びの方向性は無数にある.

全てを想定することはできない.

だが,考えられる工夫をすることで,園児たちは可能性をいくつも開花させる

ことができるのかもしれない.

 

一方,今は◯歳だからと考えてしまうと,それ以外の可能性を排除することになる.

 

先生方は◯歳だからではなく,いま目の前にいる子どもたちの様子を見ながら,

次にどういうルートを取る可能性があるだろうか?

と問いながら,保育室内やその他の場面での工夫を考えてみる.

 

育ちは流動的で,常に周辺環境と調整する中で起こっている.

だから,保育も固定的にならずに,ダイナミックでありたい.

そんな目を持つことができたら,きっと毎日の保育が新鮮に映るんじゃないだろうか?

 

 

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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