子どもと向き合うということ

新年度のスタートに園児との向き合い方を少し考えてみませんか?(画像 Presidentオンラインより)

 

 

 

こんにちは。

新年度1日目はいかがでしたか?

疲れましたか?

 

気分一新して臨んだ方もいれば、

何らかの想いを引きずっている方もいるかもしれませんね。

でも、最初の一歩はやっぱり大事だと思いますので、

今年度に向かう気持ちを何らかの形で生み出したいところですね。

 

さて、その一助となるかわかりませんけど、

新年度のスタートにあたって一言だけ書かせてもらいます。

 

私は心理学や教育学の学びを続けてきた人間です。

人間の心身とずっと関わってきているわけですが、

人間の心などというものを理解しようとすると迷路に迷い込むような気がしています。

 

例えば、先生が話をしている最中にじっと聴いていられない子(学生)がいるとします。

そんな時、私たちはどんなことを考えるでしょうか?

 

なぜこの子(学生)は人の話が聞けないのだろうか?

 

と考えて、すぐに心や発達の問題に理由を求めたりしないでしょうか?

 

河合隼雄先生が『こころの処方箋』というご著書の第1項目に

「人の心などわかるはずがない」

と書かれています。

 

まさにその通りです。

心理学も教育学もついこころの問題を取り扱いたくなるのですが、

そこを見ようとするほどに迷路に迷い込むし、

勝手に推測をして、事実に沿わない推測を

あたかもそうであるかのように結論づけてしまうという穴に

自らはまり込んでしまうことになります。

 

河合先生は既述書の中でこう書かれています。

例えば不良少年がカウンセリングに来た場合に

(前略)「この少年の心をすぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して会い続けること」

(中略)

「(心の処方箋は)現状を分析し、原因を究明して、その対策としてそれが出てくるのではなく、むしろ、未知の可能性の方に注目し、そこから生じてくるものを尊重しているうちに、おのずから処方箋も生まれてくるのである」

 

子どもを理解するということは、

決してその子の心に手を入れてかき回してみたり、

行動から心の中に原因を求めて推測で決めつけたり結論づけることではなく、

「人間というのは簡単にはわからない存在である」と考えて、

園児とただ向き合うことなのかもしれません。

 

評価も分析もせず、ただその人の真実と向き合い、

どうなるかわからない未来の可能性を感じながらそばに居てはどうでしょうか?

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

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