【見守る保育③】「一緒に考える」って?

 

 

 
(1)前回の振り返り
前回は「見守る保育」と関わる主体性と自主性の違いについてお話ししました。
自主性とは言われたことを率先してやる性質
主体性とは自分で考えてやることを決める性質のことでした。
 
 
(2)今日のテーマ
初回では考える力を育てるために
「選択肢」を与えることもありという話をしました。
ある意味では、それは枠組みを与えるということであり、
主体性を育てることにつながらない気もします。
 
一方で、子どもたちが主体的に考えた場合に
こちらとしては好ましくない答えに行き着く
ということが起こりうるわけです。
 
そんな時にどうするか?
大切なのは
「なるべくなら答えのクオリティは問わないことが大切である」ということです。
 
(3)失敗を告白する
私自身の失敗談です。
 
若かった頃「大学教育」においても、
「子育て」においても、
クオリティを求めすぎていた時代がありました。
それによって、考える機会を阻害する結果になってしまっていました。
「もっとちゃんと考えろ」って怒ってしまったことも何回もあります。
これはいま考えると本当に良くなかった。
考えることが怖くなってしまってました。
 
(4)一緒に考える
いま、なるべくしようとしているのは
「一緒に考える」ということです。
 
一緒に考えるというのは
園児だけが考えるんじゃなくって、
一緒にです。
 
「自分はこうじゃないかと思うんだけど…」
ということを伝えることだってたくさんあって良い。
そう考えた理由も説明して、
相手がなぜそう考えたのか?
もしくはどうやってそれを達成しようとしているかをあらためて聞いて、
そこで一緒に考えるということをしています。
 
僕は子どものことを「子ども扱い」しすぎることが問題
だと思うんですよね。
子どもと大人って年齢じゃないっていうか、
相手に対する尊重って年齢じゃないっていうか。
 
 
「〜するために、どうしたらいいんだろう?」
「・・・君はなんで△△をしようと思ったのかなぁ?」
を一人語りのように呟くと、
子どもたちはアドバイスをするように答えてくれます。
 
(5)「見守る保育」は手が掛かる?
一緒に考えたら、見守ることにはならないんじゃないか?
と考える先生もおられるかもしれません。
 
「見守る」とは「大人が先回りして答えを出さない」
「子どもの考える機会を担保し、その考えを尊重する」
という意味合いであると私は考えています。
 
分かった気になっている大人、
頼りになる大人にならずに、
一緒に不思議がってくれる大人であると言ってもいいかもしれません。
 
多分、それって先生方が得意なことなんじゃないかな?
手がかかると思えるかもしれないですけど、
実は絶対に楽しいことだと私には思えます。

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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