私が保育を考える土台〜生態学的情報とは

(私が保育を考える際の土台〜生態学的情報とは)*本記事の最下部にある音声と同じものです

 

(1)情報と調整

何を起点にして物事を考えるか?

というのは、かなり大事なことです。

 

生態心理学では、その起点を「情報」と「調整」に置きます。

英語ではinformationとcoordinationと言います。

 

情報(information)とは、

語源的には情報源に関することを別の形の中に入れて

(in-form)伝えてくれるものという意味合いです。

情報というとインターネットで流れてくるものとか、

ニュースとかを思い浮かべますが、

本来的な情報というのは、このように環境から与えられるものです。

なので、一次情報とか、

生態学的情報(ecological information)

と呼ばれたりもします。

ちなみに、インターネットなどメディアを介したり、人の手が加わった

ものは二次情報と呼びます。

 

調整(coordination)とは、外界にある何かと共に順序立てる(co-ordinate)こと

という意味合いです。

 

私たちは時々刻々とまわりから情報を得て、

それに合わせて動いたり、考えたりしているということです。

 

(2)見えるということ

ここでは「見える」ということを考えてみたいと思います。

私たちはなぜ見えるのか?

網膜や水晶体があるおかげで、という人間側の機能のおかげ

と一般的に思われているのですが、

実際にはそうではありません。

もっと大切なことが環境の側にあります。

 

心理学者のジェームズ・ギブソンは、

環境を構成する要素を3つに分類しました。

物質(substance)・媒質(medium)・表面(surface)

の3つです。

 

物質とは、まさにモノですね。

人間はその中を通ったりすることができない。

 

媒質とは、人間であれば空気です。

人間はその中を通ることができ、光や音などの情報を伝えてくれるものです。

 

そして表面。

表面とは物質と媒質の境界面のことを指します。

そして、ここに肌理と呼ばれるような凹凸や化学的特徴(色)が

あることによって、私たちの視覚は機能するのです。

 

肌理がなければ、私たちは視覚を失います。

ホワイトアウトや濃霧に包まれた状態を想像していただくと

わかるのではないかと思います。

本当に真っ暗な夜を経験したことがある方は、

何も見えなくなって(見るべきものがなくなって)、

恐怖を感じたことでしょう

(ちなみに、私はアメリカのど田舎に行った時にこれを

感じたことがあります)。

 

見えるというのは、目の機能のおかげというよりは、

まわりに肌理(情報)があるからなんです。

 

(3)私たちは生きている「まわり」

私が講演をさせていただく時に、

「私たちは環境の中に生まれ落ちる」

という「後から参入理論」からスタートさせていただくのは、

こういう背景があるからです。

 

私たちは常に「場所(room)」にいます。

それは空間(space)という物理学で用いる抽象概念とは違います。

重力という方向性を持ち、地面と空があり、多くの場合は、

何らかの遮蔽(壁、柱など)が存在する場所、

つまりroomです。

場所は無数の情報で満たされています。

私たちは常に情報に満たされたところにいるのです。

 

その場所の特徴によって、何ができるか(できないか)は

決まっています。その可能性(もしくは制約)のことを

アフォーダンスと呼んだわけです。

そのアフォーダンスを利用して、私たちは行為をする。

その行為、つまり起こる出来事に応じて、

何をするかどうかが随時創発されていくわけです。

 

 

(4)保育を考えるもう1つの視点として

保育や子育てをしている中で、私たちはややもすると、

あるべき姿、こうなってほしい姿を先に考えながら、

逆算して子どもたちを観てしまいがちです。

そうなると、「〜ができていない」など、正解・不正解の

視点で観てしまいがちになる気がします。

 

でも、「今、ここ」を起点にして、環境との交わり(知覚)

を観察していくと、どうでしょうか?

子どもたちの姿の見え方が変わってくるのではないでしょうか?

 

例えば、先日お伺いした園での園庭づくりの一環で、

ごっこ遊びの充実のため、先生方の自宅にあった昭和を彷彿とさせる

生活用品(ポットや電子レンジ、ガス台など)を園庭に設置しました。

それもroomの肌理であり、何らかの機能を持った道具です。

 

そういう道具があることによって、火や水がイメージできたり、

日頃お母さんやお父さんがしている料理の様子を思い返し

ながらごっこ遊びができたりするわけです。私が観ていた時は

女の子がフライパンに入れた食材(枝、土、木の実、葉っぱ、水など)を

じっくりと炒めていました。その姿の中には火があったような

気がしました。

 

リアルであるからと言って、必ずしも良いわけではないことも

あるわけですが、少なくとも楽しさがあったり、

会話が生まれたりしますし、長い時間遊びが続くように思います。

 

もう1人、大変著名な生態心理学の学者でエドワード・リード

という方がいますが、彼は「群棲環境」という言葉を使いました。

私たちは社会を形成することで生活を営み、そこに文化が

生まれます。子どもたちはその中に入ってくる存在です。

大人がやっていることを、教わることがなくても、

見たり、聞いたりしながら真似て、次第に自分がいる

群棲環境に適応していくわけです。

保育は、まさにそういう環境の1つと言えるでしょう。

 

(私が保育を考える際の土台〜生態学的情報とは)*本記事の最上部にある音声と同じものです

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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