事実と解釈を分けて考える習慣

(今日は音声なしです)

 

おはようございます。

最近、ある場面である方の発言を聞いて

考えたことがある。

 

それは「事実と解釈を分ける」ことについて。

 

保育ではままあることなのだが、

経験のあるベテラン保育者がとあるテーマについて、

ご自身の経験を踏まえて発言しているとする。

聞いている人は、その件に

関してその人に比べると経験がないので、

その解釈が合っているように感じられてしまう場合が多い。

 

経験に基づいての発言は、どこか説得力が

あるように受け取れる。いわゆる「エビデンス」

に基づいているような気がするからだ。

しかし、「経験」に惑わされてはいけない。

 

事実に基づいていると言っても、そこには

多分に解釈が含まれてしまっており、

その人の記憶の中にある事実でしかない。

 

事実は事実としてあったとしても、

解釈が入っていたら、

それをちゃんと剥がすための議論を

しなければならない。

 

事実と解釈を明確に分けて考えている人は案外少ない。

一方、解釈を事実であるように

誤認している人は少なくない。

(私も含め)自分の解釈が歪んでいるか

を客観的に判断するのは難しい。

そもそも客観性というのが何か?も定義が難しい。

 

行動には意図(目的)が込められているから、

何をしているか?を語るにも、意図が含まれて

しまい、そこに客観性がどの程度担保できるか

怪しくなってしまう。

 

なので、

「私にはこう見えた」

など、抑制的に語ることも大切である。

 

難しいことではあるものの、

ひとまず、事実と解釈を分ける意識

というものを持ちたいと思うのだ。

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

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