なぜ「遊び」が大切なのか?

遊びが大切だっていうのはよく聞く話だけど、それってなんでなの?

 

 

 

 

 

こんにちは。

ゴールデンウィークも真っ只中ですね。

お子さんを連れて、たくさん遊んでいますか?

こんな時だからこそ、いろんなところに連れて行ってあげようと思うのが親心。

いいですねぇ。

ぜひ、楽しい時間を過ごしてください。

 

今日は、基本的なことに立ち返って

「遊び」をテーマにお話を進めたいと思っています。

 

(28分47秒)

(BGM Overjoyed〜ブライアン・ケスラー

 

 

(1)はじめに

 

幼い頃は特に遊びが大切と言われていますが、

保護者の皆さんはその背景にある意図がよく分かりませんよね。

もしかしたら、若手の保育者でも意味がわからない人も少なくないかもしれません。

そのことを考えてみたいと思います。

 

ちなみに、少し前にアメリカで出版された幼児教育系の本(Crisis in Kindergarten)によると、

アメリカでは60分以上自由遊びをしている園は5%にも満たないというデータが掲載されています。

ロサンゼルスでは4%、ニューヨークでは実に1%の園でしか自由遊びを60分以上確保していないそうです。

 

私が園庭に関する論文を国際誌に投稿した時にも、

審査をする先生から「この(遊び時間に関する)時間表記はあっているのか?」という確認が入ったほど。

その園は90分程度の自由遊び時間を確保していたのですが、

海外の専門家にはにわかには信じられなかったようです。

そのくらい日本の園は豊かに遊ぶ時間を確保されていると言えます。

 

先述の本によると、アメリカでは幼児の頃からテストであったり、

知的能力を過剰に意識する傾向が顕著になっているようです。

「遊びが完全になくなったわけではないが、非常に“ワザとらしい”(superficial)

感じになっている。」と書かれています。

つまり、大人によって遊ばされている感じになっているということのようです。

 

その結果、子どもたちは(先生のサポートなく)自分たちで遊びを作ったり、

発展させたりすることができなくなっていることが指摘されています。

現在の日本の状況と似ていると言って良いでしょう。

 

(2)遊びの意義①〜体力的側面

 

この背景には、スクリーンタイム、習い事、送迎、安全面への不安、保護者の多忙など

色々な要因があります。これをどうしたらクリアできるか?という問題はあるわけですが、

今日はそれらの問題は横に置いて、遊びの重要性について考えたいと思います。

 

だいたい、「遊び」を扱った教科書などでは、遊びの意義を

・Cognitive(知的活動)

・Imaginative(想像性)

・Emotional(情緒)

・Social(社会性)

・Physical(身体)

などに分類して論じることが多いです。

 

ここではもう少し細かくみながら、私が特に重視している側面について、

いくつか書かせていただきたいと思います。

 

まず第1に、最も分かりやすい意義は体力的意義が挙げられるでしょう。

 

幼児期の遊びは身体を動かすことが多くあります。

ただ、ここで体力を高めるということではなく、身体を動かす遊びを反復的に行うことで、

身体を動かす習慣が身に付くという効果があると考えた方が良さそうです。

 

特に大切なのは3歳児(年少)〜4歳児(年中)あたりです。

この頃に年中の後半くらいからは得意不得意とか、好き嫌いが明確になってきますので、

それまでに身体を動かして遊ぶことが好きであるという感覚を持つことが大切です。

 

この頃はルールのある遊びをするのは難しいお子さんも少なくないので、

(特に年少は)スポーツっぽいものじゃない方が良いかもしれません。

むしろ、自然豊かな場所に行って虫などの生き物を探したり、

(長い距離を)散歩をしながら雲の動きを追ったり、お花の種類を数えたりしながら

歌いながら歩いたりするなども良いでしょう。

これであれば、園じゃなくても保護者でもできることです。

「遊び」と言われたら、子ども同士で楽しく遊ぶみたいなことを想像しますが、

登降園の途上も「遊び」にできます。

 

(3)遊びの意義②〜社会的側面

 

第2にルールの問題もあると思います。

以前もここで書いたことがあると思いますが、

日本人はルールというものを守るか?守らないか?という視点でしか考えません。

ところが、ヨーロッパなどはフランス革命を代表とするように、ルールは自分たちで書き換えられる

という感覚を持っているようです。なので、何か困ったことがあるとルール自体を変更して

違うゲームにしてしまうことがあります。

 

これ、実は子どもの遊びの中ではかなり頻繁に起こることです。

困ったことがあればルールを変えて良いということです。

最初はガキ大将のような人がルールを決めているのですが、

小学生頃になると次第に合議で決められるようになったりして、

案外しっかりとしたものです。

 

いまの時代は大人が子どもの遊びに口を出し過ぎるので大人が決めたルール通りにやらないといけない

という感じがあるようですが、それは大変にもったいないと私は思います。

 

昔は「お味噌」(地域によって違うと思います)などと呼ばれるルールがありましたよね?

皆さんもありましたか?

幼い子どもなどが鬼ごっこに参加する場合、タッチされても鬼にならなくて良いとか、

3回タッチされたら鬼になるという特別ルールがありました。

私は東京の多摩地区で育ったのですが、そこでは「お味噌」と呼んでいました。

由来は知りません(笑)

ちなみに、私たちの子どもグループでは、小さい子が鬼になると鬼の交代が起こらなくなるので、

一番年長の子が鬼を手伝って良いみたいなルールがあった気がします。

なんせ、楽しきゃなんでもよかったんですよね。

 

こんな感じで子どもたちだけでの自由な遊びは、面白くなるようにルールを決めたり、

楽しくなる工夫をしたりしながら、ルールづくりの感覚を身につける絶好の機会です。

 

(4)遊びの意義③〜認知的側面

 

そして、遊びの最大の意義と私が位置付けているのは

「世界と出会う(encountering the world)」という意義です。

 

これはエドワード・リードという心理学者の著書からいただいた言葉で、

私自身がすごく好きな表現なんです。

*余談ですが、リードは1997年に43歳という若さで早逝してしまったのですが、

この人がいたら、心理学という学問はいま以上に大きく発展したのではないかと

思わせてくれるほどの知の巨人です。

 

生まれたばかりの赤ちゃんにとって全てが新しい出会い。

そこでいろんなことを学びながら世界を知り、この世は素晴らしいとか美しいということを

徐々に知っていくわけです。

 

大人が介在しないで、子どもだけで自由に遊ぶことの最大の意義は

正解も何も意識しないで、「子どもが思ったようにまわりの事物と出会えること」です。

幼児期は社会的ルールなどあまり気にせずに、世界とじっくりと出会うことをしてもらいたいと

私個人は思っています。なので、遊具を使わなくても、何もしなくても、歩いているだけでも

それは遊びなんじゃないかと思うのです。

 

もちろん、劇遊び、運動遊び、ごっこ遊びなどなど多くの遊び方があると思いますし、

それぞれに意義深いものがあると思います。それらの個別の意義もあると思います。

ここに挙げたのは、それら多様な遊びにも通底する意義ではないかと思います。

 

(5)最後に

 

早いうちから勉強をしないと置いて行かれるんじゃないか?という懸念がある保護者の方は

少なくないと思います。私個人はあまりそういうことは思っていません。

小さい頃からちょっと早くスタートしたからって人の前を歩き続けることができるほど、

知的な活動というのは甘いものではない。これは言い切れます。

それよりも「好奇心(sense of wonder)」が重要です。

「これ面白いな」

「なんでかな?」

「どうやったらもっと上手くできるだろうか?」

という心もちを常に持ち続けることができる人間になれば、黙っていても知的活動をし続ける人間になります。

 

そうなったら、人生の最初期に獲得したちょっとしたアドバンテージなど、あっという間になくなるんです。

 

この好奇心を持つためには、保護者も一緒にsense of wonderを楽しむことです。

ゴールデンウィークに特別なことをしなくても構いません。

たった1時間でも良い。

お子さんと一緒に不思議がって、めちゃくちゃ楽しい時間を過ごしてください。

 

 

 

 

 

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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