こんにちは。
あっという間に7月も終わろうとしていますね。
いよいよ夏も本番という感じになっています。
お子さんたち、ガッツリ遊んでいますか?
暑いから外で遊ばないなんて事のないように、
「暑い中でもどうやったら外で遊べるか?」を考えてみましょうね。
ちなみに、我が家の3人の子どもたちは近所の子たちが遊び仲間だったので、
我が家に来ることも多かったです。
外の水道のホースはいつでも使用OKで、水を出しながら遊んでいました。
10年くらい前は、暑さもまだマシだったのかな?
それほど、熱中症とかを心配した記憶はありません。
夏の水遊びは楽しいよね。
本日の音声配信👇
(1)企業のターゲットにされる子どもたち
第1回のコラムでは、子どもたちが生きている環境のことをお話しました。
そんな状況と合わせて、企業は1980年代中盤あたりから子どもをターゲットにした
戦略をとり続けています。
私が小学校から中学校の頃はファミコンに始まり、ゲームボーイでした。
そして父親になった頃はDS(3DS)だったかな?
あとは知りませんが、次から次へと新しいゲーム機器が誕生しています。
子どもが少なく、遊ぶ場所もない。
ゲームがしていれば静かにしているし、集中して楽しそうに遊んでいる。
多くの親は良かれと思って、買い与えてきました。
そういう時代が長く続き、90年代後半にはインターネットが普及し始め、
そこでのゲームも子どもがターゲットになりました。
次第に、「止められない子どもたち」という現象が起こるようになり、
とうとう2019年にはWHOが「ゲーム依存」を疾患認定するところまで行ったのです。
世の中はAIとかプログラミングなどと言われ、デジタルネイティブな子どもたちは
そういうことができた方が良いと思い込んでいる。
でも、こういう変化は検証することは不可能。
社会の勢いを見て、つい「そうに違いない」と考えてしまうわけです。
でも、一方で子どもにまつわる、かつては存在しなかった多くの問題が
長時間のゲームや動画視聴と関係がないと、なぜ言えるのでしょうか?
科学的にも子どもの発達に害があると証明された訳ではありません。
だけど、周辺状況だけを見たら、私には害があるようにしか見えません。
(2)そこから逃れる方法
これらのことを考えた場合、卑近な例で大変申し訳ないのですが、
我が家の例をご紹介します。
我が家では、子どもが小さい頃のとにかくデジタル機器はテレビのみでした。
私が仕事上タブレットを持っていましたが、携帯もガラケーでした。
周辺ではスマホを持っている人がほとんどでしたが、子どもが
一定以上の年齢になるまではスマホは使いませんでした。
ゲームに関しては、上の2人はDSを欲しがったので、1人1台買いました。
ソフトは誕生日プレゼントかクリスマスだけ。
それ以外に買う理由がないからです。
欲しがる時はもちろんあります。わがままだって言います。
そんな時は膝を突き合わせて話を聞き、そしてこちらの言い分を説明します。
最後は親の言うことを聞くしかない訳ですが、
強制してでも過剰には持たせませんでした。
そりゃ子どもは持ちたがるに決まっている。
でも、何が良いか悪いかは時に大人が決めるしかないんです。
アメリカでは子どもの人権などを非常に大切にしますが、
それは当然のことながらケースバイケースです。
大人と同じように扱う場面と、子どもには決して許されない場面があります。
私の留学時代のホストファミリーでは、寝る時間とか、持ち物とか、
食べ物とか、結構うるさく子どもたちに言っていました。
悪い習慣が身につくと、そこから逃れられなくなるからだと私は感じました。
時に遅くなることは許すけど、
「いつも」遅くなるようなことがあるとこっぴどく怒られていました。
習慣・反復を大切にしていたのです。
ですから、持ち物にもうるさかったのだろうと思います。
私自身もそうしていました。
Bad Habitsにつながるようなものは、高校に上がるまでは決して認めませんでした。
高校生になれば、あとは自分での判断です。
それでアホみたいな判断しかできないようではただのアホですが、
そこまでは徹底して教えることが必要です。
(3)子どもたちに遊びを返す
(1)で書いたように、大人たちのビジネスの相手にされてしまい、
子どもたちは本当に子どもの頃に大切な遊びを奪われてしまい、
その代わりのビジネスアイテムを配られているわけです。
この流れはたぶん止まりません。
考えようによっては、外でも中でも楽しく遊べるという選択肢が
できたって言うこともできるかもしれません。
だけど、それだったら多くの子はエアコンが効いてて心地よい、
疲れる事のない室内でのゲームを選びますよ。
それじゃダメなんじゃないですかね〜って私は思っています。
大人たちが奪ってしまっている外での遊びを、もう一度子どもたちに返すこと
デジタル時代だからこそ、
これが大切なんじゃないかと私は信じています。