(1)大人は完璧でなくてはいけないのか?
(2)完璧な大人(母親)ってどんな人?
子どもと24時間接していて、常に天使のような心持ちでいるなんて、誰ができるの?
って思うのは私だけでしょうか?
無理芸にも程がある(笑)
一生懸命にやっているからこそ、時に嫌にもなるし、
腹が立つことだってありますよ、人間だもの。
腹も立てない、生活が乱れないなんて、SNSの中だけの出来事であって、
完璧な大人になることなんてできるわけないよね。
ってか、完璧な大人ってなに?
私、2011年から2020年まで、学生や卒業生と一緒に子どもの運動遊び教室をやっていました。
その時によく「大人げない」と言われたことがあります。
その理由は尻尾とりなどの鬼ごっこの時に本気になって追いかけたり、逃げたりするから。
「わざと負ける」とかあり得ない。
もちろん、子どもたちと勝負にならないと子どもたちにとっても面白くないから、
ルールの中で差はつけます。
例えば、小学校低学年が相手だったら子どもは尻尾を3本つけるとか、
私や学生は走ってはいけないとか(その代わり、全力早歩き)。
そうなると、どっちも本気でやるからかなり楽しくなるんですよね。
まぁ、時にムキになるくらい本気だったこともあったと思います。
本気でやって大人が勝つと、子どもから「大人げない」とか言われるんです。
たぶん、手加減して子どもに勝たせてくれる大人が
その子の周りにはいたんだろうなと思うんですよね。
で、悔しさの表現として「大人げ」という言葉の選択になったのだろうと思います。
(3)子どもにとって「良い大人・母親」を考える
子どもにとって「良い大人」とか「良い母親」ってどういう人のことを言うのでしょうね?
その答えは私には分かりませんけど、大人が思っている感情の起伏がない、
あらゆることを完璧にこなす大人ではないのではないか?
と思うんです。
では、どういう大人?母親が良いのか?
この問いは正直愚問だと私は思います。
そこに正解はない。
だけど、マッチングというか、相性はあるかもしれないですね。
その土台として大切なのは、
「子どもを見ることができる大人・母親」であろうとすることではないかと
私は思います。
次に「子どもを見る」とはどういうことなのか?
以前、「素朴な目で見る」というコラムを書きましたが、それに加えるとするなら、
子どもがしていること(=行為)を見るということだと思います。
評価することなく、自分の子どもが生きている世界を観察し続ける人であり続けること。
そして、それを面白がって、不思議だな、なんでだろ?と思い続けられること。
そういう心もちを持っていると、たぶん質問をすることが多くなると思います。
だって、子どもが生きている世界を知りたくなりますから。
そうすると子どもが生きている生態系みたいなものが見えてくる。
河合隼雄先生が言っていた「コンステレーション」にも通ずる世界が次第に見えてくる
んじゃないかと思います。ただ、それだけで良いのではないかと思います。
そんな仮説を持ちながら、私は自分の子どもはもちろん、
園で出会う子どもたちの一挙手一投足を見て、その行為で子どもが感じていること、
しようとしていること、困っていること、その行為に関わるもの、人を
読み解くことを続けています。
ご参考までに