子どもの人権-失敗体験とエンパワーメント

 

 

(1)子どもに保障される権利

 

現在,これまで受けてきたアカデミックな訓練とは異なる領域のことを学んでいる.

それは「子どもの権利」についてだ.

これまではあまり出会うことがなかった領域.

なんでもそうだが,学んでみると次第に重要性と面白さが見えてくる.

 

私が感じていた違和感の根と

これから進むべき道がそこにあった.

 

これまでの社会では,子どもは保護されるべき対象でしかなかった.

確かに子どもは弱く,未成熟な部分がある.

だが,私たち大人にだって未成熟な部分はある.

子どもだけを未成熟で,大人になる前段階として見るのは

偏った見方と言える.

 

色々な種類の暴力や不当な扱いからは保護されなければならない.

それは大人も同じ.

子どもは自身の意見を言う機会を必要以上に奪われていないだろうか?

子どもにはその力はないと大人は決めつけていないだろうか?

 

だが,子どもは自分自身が生活する,周辺の在り方に対して,

発言することはできるのではないだろうか.

例えば,保育室の環境.

保育室の環境構成をどの程度子どもに相談しているだろうか?

先生だけで考えて決めていないだろうか?

5歳児は5歳児なりに,3歳児は3歳児なりに,

1歳児は1歳児なりに,発言(行動も含めて)する機会が

保障されているだろうか?

 

(2)失敗体験の必要性

 

そのためには,失敗を恐れずに,

むしろ失敗から学ぶ機会をたくさん持つことが大切である.

子どもを保護するという名目のもとに,

子どもから失敗の経験を奪う大人が多い.

子どもをバカにしていると私の目には映る.

 

失敗経験をさせると,子どもがかわいそうという人がいるが,

私たちは間違える中でしか成長の方向性を見出すことができない.

時には,ダメなものはダメだと伝え,その理由を教えることにも意味がある.

決して,怒る必要はないけれど.

 

(3)失敗体験とエンパワーメントはセット

 

多くの大人が勘違いしていることは,怒るか褒めるかの二択で考えているところ.

怒るのも褒めるのも評価だ.

評価は教育の中では重要な役割を担っているが,

あまり生活の中でそれを振り回しすぎるのは感心しない.

力があるが故に,子どもたちがそれを気にしすぎるからだ.

 

失敗したら,子ども自身がそれを自ずと感じることになる.

そこで大人に求められるのは,エンパワーメントである.

エンパワーメントとは勇気づけとか,激励とかそんな意味である.

失敗の後,またやろうと思うためには

エンパワーメントが必要になってくる.

 

ちなみに,エンパワーメントは失敗体験がなくても

常に存在していて良い.

子どもたちはエンパワーされることによってチャレンジする気持ちになったり,

未知の世界に踏み出そうという勇気を持つことができる.

そのことによって失敗することができるのだ.

 

子どもが権利主体として自らの環境と触れ合い,作り,世界を学んでいく.

そのことを通じて,生きる喜びを感じる力を身につけていく.

世界は美しい,生きることは楽しいと感じられるようになる.

そんな体験を積み重ねることができる環境を作ることが

私たち大人には求められているのではないだろうか.

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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