自尊感情・レジリエンス

 

こんにちは。

昨日は午前には園にお邪魔して、先生たちとの研修会。

午後は某自治体の教育委員会にお招きいただいての講演。

夜はオンラインでのスポーツ文化に関する研究会

とバリエーション豊かな1日となりました。

 

今日は午後の講演会でお話しした内容の一端をご紹介したいと思います。

委員会から頂戴したテーマ(キーワード)は

自尊感情・レジリエンス

でした。

 

 

(1)2つの問い

この議題、いずれも私が大事だと考えている部分と類似する話ではあるのですが、

どうしても違和感がある。言葉に引っ張られてしまって、本質的な問いにたどりつかない

気がするんです。

 

自尊感情という言葉を教育委員会が使う裏側にある欠落感は、

「自分のことが好き」とか「自分を大切にすることができる」とか

そういう性質が欠けているということなのだろうか?

 

レジリエンスが足りないという課題意識は、

怒られたら、失敗したら、すぐに凹んでしまってなかなか立ち直れないとか、

失敗を恐れて行動しようとしないとか、

そういう現象のことなのだろうか?

 

私がこういう「言葉を使った問題意識」に対して感じる問題の1つは

「専門っぽい言葉に引っ張られて、何が問題なのかが見えてこない」、

さらには「問題意識の陰に隠れている本当の問題は何か?」が見えてこないということである。

 

そして、もう1つはレジリエンスを育てるとか、自尊感情を育てると言い出した途端に、

その主体は先生にならないのだろうか?ということである。

そうやって子どもと接している先生たちから子どもたちに伝わるメッセージは何なんだろうか?

という問題である。

 

(2)自分の言葉で考える

教育や保育業界にいる人たちって(私もその一員だが)、専門用語とか、何かをスパッと

伝えているような言葉に引っ張られる傾向がある。

「学ぶ力」「考える力」「深い学び」「アクティブ・ラーニング」など

レジリエンスも、自尊感情も、その1つである。

 

これが表しているものは何なのだろうか?

という話をした。たぶん、分かったような気になっていて、みんな理解が違うのではないだろうか。

もっと平易な、自分が持っている言葉で語った方が良い。

 

この問題意識の裏にあるものは、いまの子どもたちは逆境とか、自分にとってネガティブな状況に

極端に弱いと感じられるということ、そして、自分のことを卑下する子が一定割合いるという

あたりなのではないだろうか?

 

(3)The Unwritten Messages

自尊感情を育てたい。

レジリエンスが足りない気がする。

と子どもが言ってきて、それを先生も一緒に考えるというならわかる。

 

でも、先生が自尊感情を高めたい、レジリエンスを鍛えたいと言い出したら、

その主体性は先生になるというメッセージにならないだろうか?

「そんなこと、頼んでないし」

という子どもがいても、決して意外ではない。

 

(4)最後に

 

上に書いたことは、講演の中で話したことというよりは、

講演を終えた後に、私の中に残った思いである。

 

講演の最後に、ある先生がしてくださったコメントの中に、

実際に児童・生徒を見ていて、自尊感情とレジリエンスはどうなんでしょう?

という問いを投げかけたところ、その先生の主観的な評価としては

自尊感情は上がったが、レジリエンスは下がった

というお答えがあった。

 

これは、私が想定していた答えと一致する内容だったのでびっくりした。

 

スマホやゲームなど、個人メディアにさらされている分断社会であるこの社会において、

案外自己肯定感を高く持つことは難しいことではない。

自己愛的な自己肯定感。

あまり客観性のない自己肯定感である。

何せ、自分が嫌なことはしないし、好きなこと、できることだけやっていれば

大人は褒めてくれるのだから。

 

そんな生活をしていれば、レジリエンスがあがらないのは当然である。

 

というのが、私の仮説の1つである。

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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