園庭の樹が2本 枯れてしまったので 造園のおじさんと五歳児たちが 植え替えをしてくれました。
子どもたちは 枯れて根こそぎ抜かれた樹を見て かわいそう とつぶやいたり 新しい樹の枝はほんのり緑だ ということに気づいたり 腐葉土と山土を混ぜて いっぱい食べてね と語りかけたりしていました。
おじさんに借りた大きなバケツに いっぱいの水を入れて 5人ほどで運んでいた時 1人の子どもとおじさんがこんな会話をしていました。
子: この水どうするの?
おじさん: (樹が)美味しい水を飲みたいんだって
子: あそっか。泥水は飲めないもんな!
この会話を聞いて、私はびっくりしました。泥水は飲めない。この子は、梅の木と自分を重ねて思いを寄せているんだな。擬人化というより、自分化。その日は雨上がりで いろいろなところに水たまりがありました。どうして水道の水を使うのか?と思ったのかもしれません。遊びの中では、子どもらは普通に水たまりの水をつかっていますから。おじさんの 美味しい水を に そりゃ泥水は飲めないよな! 子どもなりの納得があったような言い方でした。
そう思うと はじめに書いた かわいそう とか いっぱい食べてね の言葉も 大人が思っている以上に、樹々に心を寄せた言葉かもしれないと思えてきたのです。
もっともっと 子どもの声をひろって、子どもの心に触れたいななぁ と思いました。