フォーラムへの返信

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okumi
参加者

ご無沙汰しています。

遊の気分 興味深く聞きました。これが自分でコントロールできる先生は、本当に見ていても安心できます。

この話を聞く前に、三つのワードから、いろいろ考えていまして、、、。子どもが遊びを 飽きるとはどういうことだろうか? 遊ぶ? 遊ばされている?

もう一回、今回のコラムを聞いてみます!なんか、ヒントがありそうで!

okumi
参加者

朝 園の前を地域のお爺さんが散歩されていました。園に咲いている四季折々の花を いつも見て楽しんでいる と言ってくださいました。

お爺さん「今回の玄関の花は とってもいいねえ

いつもいいけど 本当にきれいだ。

先生たちの愛情を感じるよ!」

と言ってくださいました。分かってくださる方がいるという 嬉しさと、それをわざわざ言葉にされ、伝えてくださるということへの感謝が心の中にあふれてきました。

私も 素敵に感じたことを 子どもにも保護者にも 先生たちにも 素直に言葉にしてみようと学びました!

okumi
参加者

園庭の樹が2本 枯れてしまったので 造園のおじさんと五歳児たちが 植え替えをしてくれました。

子どもたちは 枯れて根こそぎ抜かれた樹を見て かわいそう とつぶやいたり 新しい樹の枝はほんのり緑だ ということに気づいたり 腐葉土と山土を混ぜて いっぱい食べてね と語りかけたりしていました。

おじさんに借りた大きなバケツに いっぱいの水を入れて 5人ほどで運んでいた時 1人の子どもとおじさんがこんな会話をしていました。

子: この水どうするの?

おじさん: (樹が)美味しい水を飲みたいんだって

子: あそっか。泥水は飲めないもんな!

この会話を聞いて、私はびっくりしました。泥水は飲めない。この子は、梅の木と自分を重ねて思いを寄せているんだな。擬人化というより、自分化。その日は雨上がりで いろいろなところに水たまりがありました。どうして水道の水を使うのか?と思ったのかもしれません。遊びの中では、子どもらは普通に水たまりの水をつかっていますから。おじさんの 美味しい水を に そりゃ泥水は飲めないよな! 子どもなりの納得があったような言い方でした。

そう思うと はじめに書いた かわいそう とか いっぱい食べてね の言葉も 大人が思っている以上に、樹々に心を寄せた言葉かもしれないと思えてきたのです。

もっともっと 子どもの声をひろって、子どもの心に触れたいななぁ と思いました。

 

okumi
参加者

息吐くのがおもしろくて、吸うの忘れてた!一人で笑って、リラックス。ほんと、日頃から、浅い呼吸になっていたかも。吸うとか吐くとかに集中して、ゆったりしたリズムを楽しんで、こころに余白を呼び込んでみます!

okumi
参加者

詳しい内容はあまりなかったのですが、この受援力を、小学校で学ばせて欲しい という意見があるとのことでした。つまり、幼少期 学童期に、助けてもらう体験を積む、全て自分でできなくても、助けてもらってもいいんだという感情をもつ、ということかなぁと理解しています。自分で考えて行動するを目指しながら、一方でこういうことのバランスが必要なのかも。

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