みなさん、こんにちは。
今日も遊びの話をしたいと思います。
しかも、今日の話は「基本のき」というか、1丁目1番地のような話です。
よかったら、お付き合いください。
- 哲学者のカイヨワ(1970/1990)は遊びを他の活動と区別する特徴として以下の6つを挙げている。
- ①自由な活動:遊戯者が強制されないこと。
- ②隔離された活動:あらかじめ決められた空間と時間の範囲内に制限されていること
- ③未確定の活動:ゲーム展開が決定されていたり,先に結果が分かっていたりしてはならない。
- ④非生産的活動:財産も,富も,いかなる種類の新要素も作り出さないこと。
- ⑤規則のある活動:約束ごとに従う活動であること。
- ⑥虚構の活動:日常生活と対比した場合,二次的な現実,または明白に非現実であるという特殊な意識を伴っていること。
- ところが、「遊び」と一言で言っても,どうやら同じ活動が遊びになったり
- 遊びにならなかったりするようである。
- ということは,活動の状態(哲学ではこれを「活動様態」と呼ぶそうだ)として
- 定義をするのは難しそうだ。
- むしろ,遊びという状態(哲学では「存在様態」)として考えた方がしっくりくる感じがある。
- 「遊」の気分(久保、2010)
- ぶらぶら:一定でないことを表す。遊牧・遊星
- ゆらゆら:自由であることを表す。遊草・遊糸(かげろう)
- いったりきたり:離れる-戻ることを表す。遊学
こういう「遊」の心もちを持って遊ぶということが
遊びをする中で、基本中の基本になるのではないだろうか?