人間観に根ざした教育・保育を

ジャングルジムに板を渡すことが何につながるのだろうか?人間観に基づいた教育をする人であろうとするなら、意味を持った環境構成をしなくてはならないのではないだろうか?

 

 

 

こんばんは。

今朝はいつもとはちょっとスケジュールが違ったので更新できませんでした。

 

幼児教育・発達心理学の大家である無藤隆先生のSNSをフォローさせていただいています。今日、先生が書かれていたことに納得したことがあるので、ちょっと共有させてください。

 

先生曰く、

日本の保育学では、理論的研究とその前駆となる思想研究が極めて低調であり続けてきた。そして、行政通知や官報告示に過ぎない幼稚園教育要領や、それに基調を合わせる保育所保育指針が理論や思想として機能してきたというこれまでの幼児教育・保育のあり方に関して指摘されています。それに関する議論の詳細に関しては誤解を生みたくないので書きませんが、そういう流れがこの国の幼児教育・保育にはあったというお考えに言及されています。

 
私は幼児教育・保育の歴史を十分に理解できていないので、このこと自体に何かを申し上げることはできないのですが、無藤先生がおっしゃられていることを踏まえると、私が持っていた違和感を説明できるような気がしています。
 
誤解を恐れずに言うなら、日本の幼児教育では「人間観」が十分に練られていない。そんな気がずっとしてきました。人間観とは無藤先生がおっしゃるところの思想研究と類似する、人間を教育する際の思想的基盤のことです。単なる「かわいい存在」としての赤ちゃん・子どもたちであり、それを可愛がるだけの保育になっていないだろうか?人間のスタートをどのように考える始めるべきなのか?環境というのは、単にきれいであったり、見た目がキラキラしている(いわゆる映える環境)だけのことを指していないだろうか?流行を追いかけるかのような振る舞いになっていないだろうか?そういう疑問を持つ機会が少なくありませんでした。もちろん全てとは言いませんよ。人間観を持って子どもと向き合っている先生ともたくさん出会っています。
 
正直、きれいだけど子どものことを本当に考えているのか疑わしい園舎や園庭がたくさんあります。それは「人間観」を耕すことを十分にしてこなかったことが背景になるのではないでしょうか?それは現場の先生の責任ではないかもしれない。私は教育原理や保育哲学の専門家ではないから、そういった議論を上手にできるような訓練は受けていませんが、少なくともその問題を理解した上で、子どもたちと先生たちと出会わなくてはいけないと、改めて気づかせていただいた次第です。
 
 
先生は人間を、子どもたちを、どういう存在として考えていますか?
簡単に一言で答えられるような問いではないです。一生かけて探していくような問題だと思います。先ほど「練られていない」と書きましたが、正解があるかどうかもわからない。たぶん、十人十色の答えなのかもしれない。だからこそ、「練る」ものなのではないかと思うんです。あなたは人間を、幼児を、どういう存在と考えますか?ということを。正解を探そうとするのではなく、練りましょう。学んで、話して、読んで、書いて、いろんな機会に練りましょう。
 
年度の切り替わりの時期だからこそ、じっくりと考えてから新年度に向かっても良いのかもしれませんね。
 
 
 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

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