出来事を流れの一部として捉える

(写真 https://www.tokyu-dept.co.jp/mamacowith/detail.html?id=851)

 

 

こんにちは。

 

日々、周りの景色に目を向けていますか?

滋賀県はこの時期、田んぼがとっても美しいです。

田植えが終わってしばらく経っていますが、まだそれほど

大きくはなっていないので、

水が張られた田んぼに夕日が映ります。

その景色に見惚れながら帰宅する電車の中で

スマホを見ているなんてもったいなさ過ぎる。

 

さて、今日は保育記録を作成する時の視点を1つご提案したいと思います。

(BGM Bryan Kessler ゆるカフェより Sunday Morning)

 

(1)遊びの出来事をエピソードとして記録する

記録を取るということは言葉にするということ

言葉にするということは、あらためて出来事を考え直すということ。

子どもと直接向き合っているときに分析的に思考するというのは難しいですので、

後からあらためて考え直すことが必要になります。

そこで見えてきたり、気付いたりすることがたくさんありますよね。

 

その意味では印象に残ったエピソードをなるべく詳しく書くことが

結構大事なことなんじゃないかなって思います。ただ、

負担感があり過ぎると続かないので、書き残し方は工夫が必要だとは思いますけど…

 

(2)結果が決まっているわけではない

 

「発達」って、

3ヶ月くらいで首が座る

半年くらいで座位を獲得

1年くらいで歩行

みたいなイメージがあるじゃないですか?

 

まるである程度出来事が決まっているかのような?

確かに、そういう誰が見てもわかるような通過点があるのかもしれないけど、

そのプロセスって本当に千差万別で全然違いますよね?

 

「発達」って全然シンプルじゃないんですよね。

シンプルと言えば聞こえはいいけど、

我々はややもすると発達に対して「貧相」なイメージを持っちゃっている気がします。

発達ってもっと「豊か」なものだと思います。

 

色々な物や人、出来事に出会い、そこで多くのことを感じて、

いろんなことを試して、たくさん失敗して、面白がったり、

泣いたりして、少しずつ「やった♪」とか「いえ〜い💪」みたいな

ことを経験して、気がついたら歩いてたり、走ってたりするんですよね。

 

決して、「歩く」ことをゴールとして定めて事が起こっているわけじゃありません。

 

(3)Enabilityという考え方

 

Enableという動詞が英語にあります。

これは「〜を可能にする」という単語で、日本語には同意の言葉は

ないかなって気がします。

私は著書の中で「継起性」と訳しましたが、ちょっと語意を含みきれていない訳語だと思っています。

 

アメリカの発達科学者のカレン・アドルフさんという方が運動発達の大きな特徴として

このEnabilityということを言っているのですが、意味合いとしては、

あることができるようになるということは結果でもあるけど、次への前提条件にも

なっているという意味合いです。

 

首が座るという「結果」が周りを見るという行動とか、見ることで興味が広がったり、

手を伸ばしたり、お母さんに要求をしたり…本当に無数の行動が可能になっていって、

何かのきっかけで「座位」が生まれちゃう。

 

赤ちゃんが座ろうと思ったというよりは、興味のあることをしているうちに

「座っちゃった」みたいなイメージですかね。

 

なので、座れるようになって「嬉しい」という気持ちを持つ反面、

保育者としてはそこの評価をせずに、「素朴に」その姿を見続けるということが大切だと思うのです。

大切なのはその子にとっての「流れ」とか「必然性」みたいなことじゃないかなって思います。

難しいことかもしれないですけどね…

 

(4)おわりに

 

1つの出来事を「良かった」などで終わるのではなく、

それを基軸にして、それと連動して何が起こったのか?

その前段階として、何があったのかを書き残すことで、

これまでとは違ったことが見えてきます。

是非とも試してみてください。

 

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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