夏休みになったからか?
子どもの事故のニュースが連日報道されている。
そして、昨日には保育関係の事故が統計開始以来最高の件数になった
という報道もあった。
解決策として、保育者の待遇改善によって、配置人数を増やすことが必要と
マスコミでは語られていた。
もちろん、それは喫緊の課題であり、言っていることは決して間違っていない。
ただ、ここでは、それとは違う視点で
幼児・児童が絡む不幸な事故を検討してみたい。
以前の子どもの事故のニュースは明らかに大人が原因のものが
比較的多かった(スピードの出し過ぎ、運転操作のミスなど)。
近年の運転関係の事故は、果たしてそれが原因なのかが
分からないものも多い。見通しの良い道路で子どもが跳ねられる。
もしかしたら、子どもが飛び出した可能性も結構高いのではないだろうか?
プールの事故も、大人がやるべきことをやっていたか?(速度制限の遵守など)
という検証は当然必要である。
一方で、子どもはどうだったか?の検証はされているのか?
その結果はどうだったのか?は聞こえてこない。
また、プールなどの場合、子どもに発言権は保障されていたのか?も気になる。
自分の身長と同じくらいのプールに入ってみて、もし深いと思ったら、
「ここは自分には無理だ」と言える力を育てることも大事である。
子どもが亡くなったことは悲しいことだが、それを悲しんで感情的になっている
ばかりでは能がない。
先日の「子ども観」の話とも重複するのだが、子どもが責任を持った行動が
できていたか?そういう保育をできていたのか?
我々大人は、そういう視点を持たなくてはいけないのではないだろうか?