話し合いと語り合いの違いってなに?という疑問から始まる本日のコラム
金曜日のブログでご案内した通り、ちょっとした体調不良で入院生活をしております。
その都合で、今回のコラムは音声配信はなしで、テキストだけでお届けします。
(1)話し合いと語り合いの違い
いつもコメントを書いてくださるokumi先生から
「話し合い」と「語り合い」の違いについて疑問をいただきました。
「話す」ということと「語る」ということは何が違うのか?
話すは「離す」「放す」などとも同じ音だから、「投げつける感じ」がする
という意見をどこかで読んだような気もします。
「語る」の方が心がこもっていたり、相手への敬意が込められたりする
などという言説を目にすることもあります。
確かに語感からはそういうイメージを得られるかもしれません。
ここでは、私なりの解釈をしてみたいと思います。
「話す」というのは身体行為としてのspeak的な意味合いが強い感じを受けます。
単に「言葉を発する行為」というイメージでしょうか。
「語る」というのは周辺状況も含まれた、talkとかaccountに近い感じを受けます。
「語る」の方が「話す」よりも膝を突き合わせて、お互いに真剣に話し合っているような絵柄を
想像できるように思うのですが、皆さんはいかがですか?
つまり、「語る」の方が状況を含んだ語であり、場の設定すらも包含されている感じです。
話し合うでも、語り合うでも良いのだけれど、おそらく語り合うという方が情報量が多いので、
より真剣味が強い感じを受けるのではないでしょうか?
(2)対話的な保育
私は保育というのは「対話的」であることが大切だと思っています。
対話的というのは、保育者同士の話だけにとどまるわけではありません。
保育者と園児
保育者と保護者
保育者と地域の方々
保育者と研究者
などなど
保育者は園児の言葉に耳を傾け、その思いを共に感じる。
保護者と保育者は共に語り合い、それぞれの思いを理解し合う。
私は研究者として保育に関わっています。
一般的に研究者はお話をしに行くことが多いように思いますが、
私はむしろ先生方との対話を楽しみにお邪魔しています。
ところが、そういう対話的な保育が為されている園ばかりではない
というのが私の正直な感想です。
園児は管理すべき対象であり、安全・安心を守るのが保育者の仕事であると信じて疑わない人が
かなり多い気がします。
そういう意識を言語化して(意識的に)持っている人は少ないでしょう。
だけど、実際にはそういう振る舞いになっている人がかなり多いのではないでしょうか?
(3)対話的時間・空間を作る心もち
園が対話的な場所になるためには、リーダー(トップ・ミドル共に)が
「対話的な心もち」を有していることが重要です。
では、「対話的な心もち」とは何か?
対話的と言われると人と人が向かい合うことだと想像する人が多いと思いますが
私はそれが対話的だとは思いません。
むしろ、人間同士は向き合わないことが大事です。
なぜなら人間同士が向かい合うと構えてしまうからです。
人間同士は並列になり、共にコトガラに対する。
いわゆる「共同注視的」な立ち位置で語り合うことが対話だと考えます。
レッジョ・エミリアでは自分達の教育思想を「聴き入ることの教育」と言うそうです。
相手の言葉をじっくりと吟味しながら、コトガラについて考え、お互いの考えを出し合う。
そんな教育が対話的教育だと私も考えています。
(4)対話的な時間・空間を作る工夫
園長や副園長が主幹や学年主任の先生たちとあるテーマに関して話し合う。
相手の意見を遮ったり、否定することなく素朴に聴き入り、質問をし、お互いに気づきを得る。
そういうことの繰り返しが、今度は主幹や学年主任などのミドルリーダーたちが、
各担任やサブで入ってくれている先生たちと対話的関係を築くことにつながる。
そして、さらにその態度が若い先生たちの受信感度を高めて、
先生たちが園児の話を素朴に聴き入り、日頃の振る舞いを評価的な眼鏡をかけることなく、
素朴に見ることができるようになる。
この連鎖が対話的な場づくりにつながるのではないかと考えています。
(5)最後に
平成の最後の時期になって中教審で「主体的・対話的な深い学び」ということが言われるようになり、
日本の教育の流れが単なる知識伝達型の学びではなく、創発的・対話的な学びになり始めています。
幼児教育はその土壌を作る場所です。
その後にどういう実りを得られるかはわからないけど、
子どもたちの身体と心を耕し、
その後の創発的・対話的な学びに向かっていく心身の基盤を作る場所です。
そして、それは保育者自身が先頭に立って作るべき場所ではなく、
子どもたちと共に生きる場所です。
子どもたちが見ているものを一緒に見て、先生たち自身も子どもと一緒に感じて、
でも、先生たちは子どもたちと全く一緒ではない。
感じている子どもたちのことも感じなくてはいけないし、
これから子どもたちが向かうであろう幾つもの方向を想像して、
そこで出来うる支援のあり方を考えておかなくてはいけない。
その辺りの「対話的な支援のあり方」については、日を改めてお話しできればと思います。
今日のところは、この辺りで。
まずは職員室から「大人たちの対話的な場所」を作ってみてはいかがでしょうか。