評価と計画:計画を作るパートナー

 

 

校種に関わらず、この時期は評価と次年度へ向けた準備というダブルタスクをこなさないといけない時期である。前にも(昨年の今頃)評価のことをお話ししたことがあるので、もしまだご覧になっていない方はご一読いただけるとありがたい。ちなみに、このサイトの中でこのコラムは超人気コラム(ランキング2位)で、いまだにアクセスが伸びている(ありがとうございます)。

 

幼児教育・保育における「評価」とは?

 

この時期、5歳児は「最後の○◯」みたいなことが多く言われる。あくまでも園生活での最後であり、当然のことながら人生は続いていくわけ。先生たちは「幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿」を念頭に置いて、どうだろうか?と考えながら保育計画に対する自分自身の保育の評価、そして園として園児と関わってきた日々の評価をしていくことになる。あと1ヶ月くらいあるわけだが、今年の評価はいかがだろうか?

 

一度、そこで立ち止まって考えたいことがある。それは計画そのものだ。昨年のコラムでも書いたが、評価というのはあくまでも計画に対する評価であり、計画と無関係の評価はあまり意味を生まない。ではその計画は誰とともに作られたものなのだろうか?

 

計画である以上は、4月の当初もしくは4月になる前に作られるのか?それとも、子どもたちの様子を見てから作られるのか?

 

ちなみに、大学にはシラバスという授業計画書があり、それを学生に提示して、学生はいわば「説明書」を読んだ上で講義を履修するということになっている。実際には読んでいない学生がほとんどだが。私に言わせれば、現代社会においてこんなにナンセンスな話はない。第3次産業時代*注の頃までは学校は大量生産社会・自動化社会に向けて労働者を輩出する社会装置であった。しかし、これからの社会はそういう能力は必要なくなると言われている。そのことへの賛否は一旦傍に置くが、学校園はその役割が変わってきていることに思いを致さないといけない。

 

*注:第1次産業革命は工業化、第2次産業革命は大量生産化、第3次産業革命は自動化に続く、4回目の産業構造の大変革期のことである。第4次産業革命は超スマート化とか、AI化、society5.0などと言われることもあるが、あらゆるものが情報化し、しかもそれが個人化され、各人のニーズに合った形になっていることが特徴である。つまり、社会に人が合わせる時代から、自分らしく、自分のニーズに合ったもの・世界観を作り出す時代へとの変化と言って良い。

 

これまでの保育計画も、行事も、制作も、ある程度大人が決めたものをちゃんと「こなす」ことができる子どもが求められてきた。これからはそうではなく、子ども自身が計画を立て、実行していくことが求められる。

 

ところがだ。一方で、それしかしていないと世界が拡がらないという別の問題が生まれる。偶然出会ったこと、やれと言われたから渋々やり始めたこと、友達がやると言ったから一緒に始めたこと、そんなことが世界を拡げてくれるなんてことは、誰にでも経験があるのではないだろうか?例えば、音楽などは典型例だ。Mステなどで若い人が案外90年代の曲が好きで、めっちゃ上手に歌ったりする。お父さんが車の中で流しているのを聞いて「めっちゃいいやん」って思って…なんて言っている。ちなみに、うちの子はさだまさしの「関白宣言」も歌えるし、私と一緒にミスチルも口ずさむ。

 

いずれにしても、計画の全てが子どもの思いが及ぶ範囲内だけで行われているのも狭いことになる。大人が子どもと協力しながら、少しずつ子どもの興味を喚起しつつ、色んな世界と出会い、経験を積み重ねていくことが求められる。先生たちは、子どもたちとどんな話をし、どんな世界とどのように出会い、子どもたちは、そして先生たちはどんな経験を積み重ねてきたのだろうか?そのことを振り返り、評価をすることが求められるのではないだろうか。

 

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

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