おはようございます。
さて、okumi先生から掲示板に2つの問題提起をいただきました。
ありがとうございます。
こうして問題を投げかけていただくことによって思考が動き始めますね。
いきなり脱線しますが、私たちは問題が起こったり、課題を目の前にすると困ったことだとか、
嫌なことだと考えてしまいます。でも、実際には問題は常に存在していて、それがあるからこそ
私たちは考えたり、それを克服して嬉しかったりするわけです。
克服するべき問題・課題は、克服しようとしているときは大変かもしれないけど、
充実した時間を与えてくれる素材ですよね。
*Bryan Kessler『ゆるカフェ』より〜Summer Rain
1)プロフェッショナルとは?
さて、まず「プロ(フェッショナル)」について考えてみましょう。
どの世界にいても「プロフェッショナル」であるための第一条件は
その役割に必要な「スキル」を一定以上に有しているということだと考えます。
野球なら野球、保育なら保育のスキルです。
そしてのそのスキルを存分に活用して受益者(ファンとか、保育を受ける人とか)に対して、
人並み以上の価値を提供している人がプロフェッショナルと呼ばれる人なのかなと私は考えます。
(素人はもとより)平均的な同業者よりも高いスキルを持ち、価値を生み出していること
がプロとしての条件なのかなと思います。
上記の2つを満たしていれば、免許を持っているかどうかは二の次なのかなと思います。
その意味では、プロ野球を見ていて、選手としてはプロの選手ですけど、
本当の意味でプロだなと思える人は多くはないですよね。
一軍のレギュラークラスくらいでしょうかね?
保育・教育に目を転じると、難しさはその価値がインスタントにわからないことです。
その評価は10年以上を経てから見えてくる場合なんてザラにありますからね。
例えば、わかりやすく優しい先生とか、話しやすい先生。生徒と親しげに話すわけでもなく、
ややもすればちょっと近づきにくい先生。
でも、同僚から見たら教育力が高く、その先生のクラスになった生徒は成長するとか、
人生の基盤を獲得しているみたいな場合って案外あります。
あの時はちょっと近寄り難かったけど、あの先生のおかげで大事なことに気づけた
みたいな先生って、いるんじゃないかな?
ちなみに、私は高校時代の現代文の先生がそういう先生です。
私自身幼児期から本を読むことは好きでしたが、
本を深く読むことの面白さ、大切さを感じさせてくれたのは、あの先生でした。
*能力は追いついていませんけどね…笑
見る人が見ればわかる的な価値というのか、後で気づく価値みたいなことです。
そういう価値をどう考えるか?というのはちょっとある気がします。
2)プロ意識とは?
さて、次に「プロ意識」ですが、まず前提としてその人が「プロ」であることが
認められるかどうか、が条件になっている気がします。
プロだなと思っている人が持っているこだわりとか価値観みたいなものがプロ意識かなと思います。
これは個人によって異なるのではないでしょうか?
NHK「プロフェッショナル〜仕事の流儀』で最後に「プロフェッショナルとは?」という
問いが投げられて、それに一流の方々が答えていますが、あれが個々人の「プロ意識」
なのかなと考えています。
プロであるため、プロとしての仕事をする(価値を提供する)ために、個々人の個性や
これまでの経験などを踏まえ、いろんな意識の持ちよう、工夫の仕方、生き方があり得ますが、
それがプロ意識なのかなと思います。
「プロ」であるということはどういうことなのか?をその人がどう考えているか?
何を大切にしているか?です。
例えば、サッカーの本田圭佑選手。
この人は表現が独特ですが、自分が自分自身らしくあることが
プロであるために大切なことだということでしょうか?
さて、ここからはただの私の予想ですけど、「この人はプロ意識がある人だなぁ」という人に、
「どんなことを大切に仕事をしているの?」(あなたにとってプロフェッショナルとは?)
と尋ねたら、悩みながら…「う〜ん、なんだろ?」なんて言いながら、
迷いに迷って何かを答えてみる…みたいな感じになるんじゃないでしょうか?
動画の本田選手みたいに。
サクッと1つの答えを言えちゃう人は逆にプロ意識があまり高くない気がします。
その営みの複雑さを認識していないように感じます。まぁ、散々迷った上での答えを
サクッと言う場合もあるかもしれないですけどね。
3)おわりに
1つの営みって本当に複雑で、いろんな側面があり、シンプルにはならないことが多い。
保育なんて、その典型みたいな仕事だと思います。
だからこそ、シンプルなプロ意識は持ちにくいわけですが、いつも考えたり、学んだり、
話し合ったりしながら、次第にプロ意識が育つのかなと思います。
いかがでしょうか?