経験を共有する

 

 

昨日再放送されていたNHKクローズアップ現代の「不適切保育」に関する番組

https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/episode/te/7237J4ML89/

 

家族LINEに「誰か帰れたら録画しておいて〜」

と送ったら、娘がギリギリ帰宅したようで、

奇跡の録画成功!

今朝、さっそく視聴した。

 

内容的には制度的な問題提起をしている形で、

決して現場に問題があるという伝え方ではなかった。

一安心である。

昨日の私のように、早とちりをしてはいけない。→教訓

 

また、海外はどうか?

という話も番組内では取り上げられていなかった。

 

基本的な番組のトーンとしては、

配置基準と保育士の不足問題が根っこにあるというものだったかなと思う。

 

これ間違っていないのだが、

この状況の中で、若い人たちが保育者を目指すのか?という疑問が残った。

 

その番組をみた後に…

正月に再放送されていたにんげんドキュメント「光れ!泥団子」を観た。 

京都教育大学におられた加用文男先生が主人公で、泥団子を介して子どもたちと向き合う

姿が追いかけられていた。

 

毎週火曜日(加用先生だけに)に園に行き、子どもたちと一緒に遊ぶ中で泥団子の持つ力に気づき、光らせる方法を自分なりに研究するとともに、電子顕微鏡を使って、科学的にその秘密を解き明かそうとする姿を、学生たちにも見てもらいたいと感じた。

 

私が参考にしている心理学者のひとりであるエドワード・リードが『経験のための戦い』(2010)の中で、私たちが共有するべきは理念とか観念ではなく、経験であるとしている。リードが原著を書いたのは1990年代(原著は96年発行)であり、テレビがあらゆる世帯に普及し尽くしており、アメリカではインターネット時代が爆発的に広がっていた頃である。リードはあらゆるものが間接経験となり、情報化されていることに懸念を示している。

 

話を元に戻すと、テレビで「不適切保育」とか「ピカピカに光る泥団子」を見ることも極めて大切なことではあるが、やはり実際の体験を積み重ねることによって我々の身体の中に保育とは何か?を理解する経験が蓄積されることを大切にしたい。マスメディアとしては不適切保育に関する情報を世間に知らせ、問題提起をすることが重要であると同時に、保育者を育成したり、トレーニングしたりする上では、若者たちに子どもたちと共に遊び、食べ、語る楽しさを体験してもらうことを重視したい。

 

まずは「子どもが好き!」「一緒に遊ぶのが好き!」が根っこにあり、そういう経験を子どもと遊ぶ中で何回も体験し、保育者同士、保育者と保護者で経験を共有することから始めたいと改めて感じた。

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

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