遊びの展開と大人の関わり方

 

 

 

こんにちは。

5月5日のこどもの日は朝から「こどもの日特集」などと称して

遊びに行くと面白い場所などを放送していました。

また、少子化の話も41年連続で出生数が減少しているというデータを伝えていました。

 

このままで本当に良いのでしょうか?

 

こどもの日は「子どもの幸せを願いつつ、母に感謝する日」だそうですね。

(参照👉https://hoiclue.jp/2304.html)

 

こどもの日を楽しくすることはもちろん大切ですけど、

日本の子どもが楽しく過ごせる社会になるとさらにいいなぁと思います。

 

さて、今日は遊びの展開について考えてみようと思います。

 

(17分20秒)

(BGM Sunday Morning ブライアン・ケスラー

 

(1)はじめに

 

前回、野村寿子先生の「遊び始め」に関して考察をしましたが、

今日はそこに至るまでの話を考えてみたいと思います。

 

私自身の研究では(物理的な)遊び始めから遊びがグッと盛り上がるまでを観察したのですが、

ここは非常にダイナミックかつわかりにくい文脈を経ることになります。

私自身もそのプロセスを読み解けたとは思っていません。

子どもたちはその過程で何をしているのでしょうか?

 

私が言っている「遊び始め」というのは、園庭に出てきたばっかりの状況、

砂場に入ったばっかりの状況という文字通りの開始地点のことを指しています。

 

ここから野村先生がおっしゃられている「遊び始め」という心が動くところまでは

けっこうダイナミックな心の動きがあるはずです。

実際に、しっかりと遊べる子どもと遊べない子どもでは、

このプロセスが違うのかもしれないと考えています。

 

(2)遊びの開始時〜遊びが展開するまで

 

先生方は遊び始めた時の子どもたちの様子の特徴って何か感じていますか?

「これやろう!」と心に決めて遊び始める子もいるし、

なんとなくこれといったイメージとかモチベーションもなく遊び始める子もいます。

その辺りはマチマチなんじゃないかと思うんです。

 

だけど、けっこうな確率で「探索」と呼べるような行為が見られます。

砂場を観察した研究(炭谷、2020)では、なんとなく水を流すという行為から遊びが始まる

ことを明らかにしました。遊びというのは案外計画的なわけではなく、偶発的な出来事を

生かしながら進んでいくんですよね。

 

遊びが盛り上がるかどうかは、実は「偶然を捕まえる力」みたいなものと関連している気がします。

何かを知っているかどうかとか、スキルが高いとかも大事かもしれないですけど、

「お、何これ?」とか「次、どうしよ?」みたいな目の前で起こっていることを感じて、

それを基盤にして次に進む、というか、何かをやってみることが遊びの発展につながる

という側面がありそうです。

 

(3)大人の関わり方

 

ところが、大人は遊び方には正解があると思っている。

「〜は・・・して遊ぶもの」と決めつけてしまうことがけっこう多い。

この決めつけは探索の機会を奪うことになってしまいます。

これは保護者でも保育者でも同じです。

保育者だから上手に遊べるというのは必ずしも当てはまりません。

 

本当に遊びをファシリテートするのが上手な大人は

子どもが持っている「偶然を捕まえる力」を活かすことができる、

もしくは

それを事前に予見して、道具とか時間を準備することができる人です。

いずれにしても、子ども自身の力では展開しきれない遊びを、

こっそりと展開させられることができる人が上手な人です。

 

子どもが偶然に捕まえた世界の面白さは、子ども自身も気づいていないことが少なくありません。

何かが面白そうだけど、それの何が面白いのかはわからない。

みたいなことって結構あります。

大人にだってわからないこともあるかもしれないけど、

少なくともそこに何かがあるかもしれないと期待することはできる。

そこが大事な大人の役割ではないかと思うのです。

 

(4)遊びを展開する力

 

「遊び込む」という言葉があります。

じっくりと遊びに没頭する子どもたちの姿を表現する言葉です。

この状態を大切にしようとするということは、

その状態があまり見られないということの裏返しだと考えられます。

 

なぜ「遊び込む」状態が少なくなったのか?

その背景の1つが遊びを展開する機会が減ったからではないかと考えられます。

探索・発見・気づき・工夫・失敗・試行・確認

などを独りで、もしくは何人かで協力しながら、

といった姿がどのくらい見られるでしょうか?

 

いまの子どもたちに遊びを展開する力がなくなったわけではありません。

いつの時代でも、子どもたちは可能性を持っているわけですから。

時代の変化によって、それに関わる種々の要因が劣化してきた可能性は高いです。

その要因の1つが「大人」ではないかと私は読んでいます。

手を出しすぎる大人の存在が、子どもの「偶然を捕まえる力」を殺しているのではないかと

懸念しているのです。

 

 

 

 

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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