1. 逃げる・我慢する、ではなく、往復する
前の2回で、私たちは「暑い=危険=避けるもの」という空気と、それを支える数字について考えてきました。
最終回の今日、提案したいのは、たった一つの言葉の置き換えです。
暑さは「避けるもの」と位置づけるのをやめて、
暑さは「出会うもの」と考えてみたい。
子どもが暑い場所と涼しい場所を往復する姿を、危険を回避している姿ではなく、
自分の体を知っていく学びの姿として、位置づけてみる。
同じ園庭の、同じ子どもの、同じ動きです。
けれど、見る側の言葉が変わると、見えてくるものが変わる。
「暑いのに外にいて大丈夫か」と心配していた大人の目が、
「この子は今、自分の体と上手に対話しているな」という目に変わる。
そして、子どもにとっては、この往復のひとつひとつが、「暑くなったら自分で涼みに行けばいい」という、
一生使える知恵の練習になっている。
2. 自信がなくても、できる工夫
とはいえ、「子どもをよく観察して、適切に判断しましょう」と言われると、
身構えてしまう保育者がほとんどだと思います。
正解がわからないと不安になる。
その気持ちは、とてもよくわかります。
ですから今日は、保育者の判断力に頼らなくても回る、
環境のちょっとした工夫を、三つだけお伝えします。難しい観察は要りません。
① 涼しい場所を、園庭の真ん中に。
日陰や水場は、つい園庭の端っこに追いやられがちです。
可能なら、一番面白い遊び——泥、水、虫さがし——を、濃い日陰や水場のすぐそばに持ってくる。
すると子どもは、暑い真ん中で我慢して遊んで限界で端へ逃げる、のではなく、
最初から涼しい拠点を起点にして、暑い場所へ短く出ては戻る、を自然に繰り返します。
大人が「休憩させなきゃ」と判断しなくても、園庭の作りが、その往復を生んでくれる。
② 水を「飲ませる」のではなく「いつでも飲める」ように。
時間を決めて号令をかけて飲ませるのは、大人にとっても気を張る仕事です。
そうではなく、子どもの手の届くところに水筒や水飲み場をいくつも置いておく。
子どもは大人よりずっと正直で、喉が渇けば自分で飲みに来ます。
「飲ませなきゃ」というプレッシャーを、環境に肩代わりしてもらってはいかがでしょうか。
③ たくさん見なくていい、たった一つだけ。
それでも一つだけ気にかけるとすれば、
「いつもよりダルそうにしている園児はいないか」。
これだけです。
元気に動いている子は、放っておいて大丈夫です。
汗が適切かとか、顔色がどうかとか、難しい判断は要りません。
見るのは「動いているか/動かなくなったか」という、誰の目にも分かる違いだけ。
もし動かなくなった子がいたら、そのときに初めて、そばへ行って声をかければいい。
お話をすれば、その状態は分かります。
この工夫を続けているうちに、保育者自身が変わっていきます。
環境が往復を生んでくれるので、安心して子どもを眺めていられる。
眺めているうちに、「ああ、この子は本当に自分で日陰に戻るんだ」と、身をもってわかってくる。
子どもを信じる気持ちは、誰かに教わって持つものではなく、
安心して見ていられる時間の中で、自然に育つものなのだと思います。
過去2回、繰り返してきましたが、暑さは、避けるべき敵ではありません。
子どもが自分の体を知り、自分で折り合いをつける力を育てる、
またとない出会いの機会です。
もちろん、本当に危険な日には、迷わず中に入る。
その判断は大切にしたうえで、それでもなお、暑さと出会える日には出会わせてあげたい。
明日、園庭のレイアウトを少しだけ変えてみる。
その小さな一歩から、始めてみませんか。
