事実は1つ。でも真実は…

とにかく面白いです。考えるべきことがたくさん出てきます。ぜひご覧ください

 

 

 

 

 

おはようございます☀️

 

 

2週間ほど前のことですが、

ドラマ『ミステリと言う勿れ』の初回放送、

ご覧になられましたか?

そこで、私が日頃考えている話題が出てきました。

 

 

 

それは「真実と事実は違う」という話です。

 

いつもいじめられている人が、

いじめている人に階段で突き落とされた。

というのは事実か?真実か?

 

そこで主人公の整くんが

事実は1つかもしれないが、

真実は人の数だけあるという話をしたのです。

これは私が日頃から考えていることを代弁してくれていて、

実に痛快な場面でした。

 

 

大学の会議でもよくあることですが、

自分の経験に基づいて発言をし、

そのことを知らない人に対して、

いわゆるマウントをとるという人がいます。

世の中にはそういう人がたくさんいます。

 

そんな時、私は考えます。

事実と解釈を分けられていないなって。

 

その人はあるテーマについて、自分の経験を踏まえて発言します。

聞いていた人は、その件に関してはあまり経験がなかったりすると、

その解釈が合っているように感じられてしまいます。

 

経験に基づいての発言は、

どこか説得力があるように受け取れるんです。

いわゆる「エビデンス」に基づいているような気がするんです。

しかし、「経験」に惑わされてはいけない。

 

事実に基づいていると言っても、

そこには多分に“その人の”解釈が含まれています。

それはその人にとっての真実です。

そのことを気づいていて、

私にはこのように感じられた。

と話してくれている分には良いのですが、

そこを断定的に「これが事実だ」と言ってしまう人は

一瞬頼りになる気がするのですが、

かなり危うい一面を持っていることになります。

 

 

事実は事実としてあったとしても、

解釈によって真実はいかようにでも作られる。

例え悪意がなくても、歪むんです。

そんな時、黙ってそれを受け取るのではなく、

その解釈を少しずつ剥ぎ取るための議論を

しなければならない。

誰かがしゃべっている過去の出来事なんて、

あてにならないこともめちゃくちゃ多いです。

 

 

 

事実と真実(解釈)を明確に分けて考えている人は

案外少ないです。

一方、解釈を事実であるように誤認している人は大変多い。

(私も含め)自分の解釈が歪んでいるか

を客観的に判断するのは実に難しいです。

 

科学的な研究はこの2つを明確に分けて考えることを求める

のであり、学者はその訓練を受けているはずなのに、

この2つを分けられない人が存外に多い。

ということは、それほど難しいということなんでしょうね。

 

私自身、常々自分を見直さなくては

いけないと感じているのですが、

なかなかに難しいものです。

 

 

朝から難しい話をしてしまいましたか?笑

今日も元気に、行ってらっしゃい👋

 

 

(画像 @CinemaCafe.netさんより https://www.cinemacafe.net/article/2021/06/03/73138.html)

 

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

Mail: daihyo@studioflap.or.jp