素朴な目で見る

この園児は何をしているのだろうか?評価も分析も解釈もせず、ただ園児を素朴に「見る」ことが大切なのかもしれません。
(画像 https://www.sony-ef.or.jp/preschool/blog/20220228.html)

 

 

 

おはようございます。

 

新しい人間関係の構築

園児たちをお迎えする準備

入園式の準備

あと数日は準備と調整の連続なのでしょうね。

民間園は例年通りという感じがあるでしょうけど、

公立園は異動の後などで、

本当に気苦労が絶えない毎日なのだろうなと思います。

 

 

いまは目の前に園児がいないからこそ、

ご自身が担当される年齢の「発達」に関して、想いを馳せることが

できるタイミングなのかもしれません。

 

確かに、発達をどう見るかという目安は必要だと思います。

ただ、「発達」を固定的に見てしまうと、

途端に目を曇らせてしまいます。

つまり、4歳児であればさらに自我が発達して、他者との比較が始まるとか、

5歳児だったら〜ができるようにならなくてはいけない

みたいなものがあると、園児の個々の特徴を見失ってしまうかもしれません。

 

私は山が好きなのでそう感じるのかもしれないですが、

幼児教育って山行と似ている感じがするんですよね。

 

登ろうとしているのか、降りようとしているのか、

どっちの方向に登りたい(降りたい)のか、

みたいな中ぐらいの枠の意識(心理学者の佐々木正人先生はこれを意識Mと表現されました)

ははっきり持っているわけです。

ちなみに、意識L(意識Mより大きな意識)は重力方向とか、山がどっちに傾斜しているとか、

そういう地球規模に対して向いている意識のことじゃないかと思います。

 

ですが、実際の近位項に向かう意識(これは意識Sです)は、地面の凸凹だったり、

周りにいる動植物とか身近な事物に向かっているわけです。

 

つまり、私たちは同時に幾つかの意識を持っているということ。

小さな意識(意識S)、中くらいの意識(意識M)、大きな意識(意識L)が同時にあって、

意識Lを土台としながらも、意識Sをいろいろなところに向けるというイメージです。

 

保育において、発達の方向性や発達課題、能力のあるべき姿みたいなものは

あくまでも意識Mであって、実際に意識Sを向けるべきなのは、

いま目の前にいる子ども1人1人です。

その園児が何をしようとしているのかを、

評価することなく、

素朴な目で見ることが求められるわけです。

 

なので、ご自身が担当する発達段階のことを勉強することは大切であると同時に、

まるでそれが全てであるかのように園児を見ることがないような心構えを

この時期に作っておくと良いのではないかと私は考えます。

 

いかがでしょうか?

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

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