子どもの「やる気」はどう育つのか?

 

こんにちは。

今日は厳しいけど、本当のことを話しますし、書きます。

耳や目が痛いのが嫌な人はスルーして、耳障りの良いことを書いている

サイトに移動していただいた方が良いと思います。

 

録音時間 25分33秒

(BGM Bryan Kessler ゆるカフェ〜アロハ・ハワイよりLove and Honesty)

 

(1)やる気のない子?

 

保護者に講演をする際に、うちの子はゲームばっかりやっていて

勉強をしないんです。スポーツもしないんです。

どうすればやる気のある子に育ちますか?

というご質問を受けることが多いです。

 

これに対する答えは決まっていますが、

それを言うと「でも…」という答えが8割方返ってきます。

それ以外の方法は私は知らないので、

あとはお帰りくださいと言いたくなります。

もちろん、言いませんけど(笑)

 

大前提として、子どものことを低く見積もっている大人が多い。

いや、大人の能力を過信しているのかな?

「〜したら子どもが可哀想」とか、

「大人が守ってあげなきゃいけない」とか。

そういう言説を信じている人が多いです。

 

子どもはあなたが考えている以上のことをします。

そして、大人には大した能力はありません。

根本的に子どものことを信じていないのに、

大人が思ったような場面だけ「やる気」のある行動をとるわけがないという

ことが前提に必要だろうと私には思えます。

 

(2)子どものやる気を伸ばす方法

 

やる気のある子に育つ方法は、

「失敗」をちゃんとさせてあげることです。

 

ちゃんと失敗をするというのはどういうことか?

私は3つのポイントがあると思っています。

1つはその責任を自分で取るということ。

そして、恥の感覚を持たせないということ。

最後に、やり直す機会を何回も確保するということ。

 

例えば、遊んでいる時に転ぶ、どこかにぶつかるという失敗をしたとしましょう。

その時に、痛いか痛くないか、ちゃんと自分で判断をする。

親が「あ〜、痛かったねぇ」などと感情を代弁してあげる必要はありません。

痛みは本人のものです。それを取り上げて、「痛かったね」と代弁するのは泥棒です。

「痛かった?」と聞くのはありですが、子どもの感情を代弁する意味はない。

子どもは、自分で痛みを感じ、砂を払い、もう一度自分の足で歩くだけ。

 

1歳くらいまでの子どもは転んだ後、必ず大人の顔を見ます。

自分ではその転倒がひどいかどうかがわからないからです。

次第に自分で痛みや酷さを判断することができるようになる。

ところが、痛みを自分のものとしてこなかった子は、

どんな場面でも泣きます。ほんのちょっとした「失敗」を受け入れられないんです。

 

大人は普通にしていれば良いんです。

「痛かった?大丈夫?さ、また歩こう」だけです。

冷たくするという意味ではなく、温かく見守るのです。

 

ここで1番大事なのは「失敗は恥ずかしいことである」という感覚を持たせないこと。

大袈裟にすることで恥ずかしく感じるケースはかなりあります。

失敗なんて誰でもしますよね?

一々取り上げる必要すらない。

またやればいい。

 

小学校の授業で体育が嫌いな子どもが多いのは、

失敗する場面を大勢の人に見られるからです。

そんな辱めを平気でやる先生がかなり多い。

 

転んだ子にことさらに声をかけるのはこれと同じです。

知らん顔して、「大丈夫?痛い?」と穏やかに声をかけるだけです。

痛かったら痛みを折り合いがつくまで、じっと抱いてあげれば良い。

「そっか痛かったね。」と言いながら、背中を優しくさすってあげる。

これだけです。

 

(3)やる気とは「飢え」である

 

もう1つ大切なこと。

満たしてはいけないということです。

ゲームをやりたいと言えば買い与え、何かを食べたい、飲みたいと言えば

買い与えていたら、やる気のある子になど育つわけがありません。

 

やる気というのは「飢え」のことです。

高度経済成長を支えた団塊の世代の人たちは、戦後経済が停滞した日本社会を経験し、

物理的な不足を経験した人たちです。

そして、現代を生きる40代以下の人間はすでに経済大国となり、

満たされた中で生きてきた人間たち。

そのやる気の違いを見れば、一目瞭然だろうと思います。

 

(4)本当の価値は時間を経て姿を見せる

 

ゲームのように、やり始めたらすぐに面白さがわかるような類のものに馴染んでいたら、

勉強やスポーツ、芸術などの手間暇が求められる活動にはなかなか興味を示さないですよね。

人間、楽な方が良いですもん。

 

ゲームだけがダメだと言いたいわけじゃないんです。

ゲームも良いだろうと思います。

一方で、絵本をじっくりと読む時間を取るとか、

一緒に折り紙をするとか、

そういう時間も大切にして、時間を経ることによって得られる

価値を体験することも大事にした方が良いということです。

 

(5)終わりに

 

ここで書いたことが全てだとは思わないですし、

他にも方法はあるだろうと思います。

 

何を大切にするか?

によると思いますので、あくまでも1つの考え方だと思っていただければ良いと思います。

 

 

 

 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

〒524-0102 滋賀県 守山市 水保町1461-34 

Mail: daihyo@studioflap.or.jp