後悔するのは成長しているからこそ

 

 
先週、エジソンの母に関するコラムを書いた。嬉しいことに、ちょっとした反響をいただいた。こうして反響をいただくというのは嬉しいもの。また、頑張って書こうと思えるものである。
 
さて、子育ちコラムなどというものを書いているものの、私自身も私自身の子どもの育ちを向き合っている。私は子どもたちの育ちをどういう目線で眼差しているのだろうか?後から振り返って後悔することなんて、たくさんある。それは決して、子どもたちが望んだように育っていないとかそういう意味ではなく、振り返ってみると私自身の浅はかさを恥じる思いが否応なく押し寄せてくるということである。
 
以前、絵本の価値ということをこの子育ちコラムで書いたが、そのこともいま私が感じている不甲斐なさの1つであった。私自身が絵本の価値をもっと理解できていれば、その時に伝えられたことがあったかもしれないし、そのことが伝えられていたら、何かが違ったのかもしれない。
 
そう考えると、さらに異なる考えが浮かんでくる。それは「完璧なんてあるわけない」ということ。何をやっていたって、後から気づくことだらけだ。そう考えたら、いまの自分っていうのは、後の自分から見れば常に不足している自分ということになる。常に後悔がついてまわる。あの時こうしておけばよかったとか、もっとやれたんじゃないかとか。それをいつも自分に対して語りかけることになる。そうして気がついたら自分は70歳になり、子どもは40歳になっているんじゃないだろうか?
 
それってつまらない。後で「あの時こうしておけば」ってこともあるけど、最善を尽くした自分を褒めてやるしかない。ダメなところもあるけど、あの時の自分はできることをしようとしたんだって言えるかどうかしかない。
 
いまの私はそう言えるのだろうか?ただ、それだけを問いながら、子どもとの時間を楽しく過ごそうと思っている。
 
 
 
 
 

保育者支援ネットワーク「保育のみかた」運営責任者

博士(教育学)

保育コンサルタント

園庭づくりコーディネーター

[著書]

『ワクワクドキドキ園庭づくり』(ぎょうせい)

『遊びの復権』(共著)(おうみ学術出版会)

保育者の「相互支援」と「学び合い」の場

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